大阪教育大学の前身である「大阪府天王寺師範学校」は1887年久留米藩屋敷跡(現在北区中之島4丁目)に校舎を新築した。同所に通称「蛸の松」という松があったため師範学校同窓会の名称は「友松会」で、「附小同窓会」は「雛松会」とした。これに対し「附中・高」の場合は、青年期の生徒が在学していることから、自然に「青松」の名称になったのである。「青松」の文字どおり若松が常に青々と茂り、枝も栄え、あたかも「青松同窓会」の弥栄を象徴するかの如くである。